
海を飛ぶ夢 覚え書き #050522
- 2005.05.21 Sat, 京都シネマ 10:00-12:15, 17:30-19:45
- アレハンドロ・アメナーバル監督。スペイン/フランス合作。2004。2時間5分。
- いくつかの映画評で「尊厳死」を問う映画とあって,ずっと疑問だった。主人公ラモンがどういう死に方をするのか。85年に西独で幇助自殺を遂げたイングリット・フランクと同じだ。死ぬ権利を訴えたあと,ビデオカメラの前で用意された青酸カリ入りの水をストローで飲み,その姿を残す。映画はその情景も描き出した。ただし,相当ソフトに。スペイン本国では,薬を飲む直前までの映像と,身体が火照り,白目をむき,あえぎ声をもらした最期の映像が,1998年1月12日の決行のあと,3月にアンテナ3で流されたという。しかし実際には1時間半苦しんで死んだと。映画ではわずか数分(1分程度?)の描写。「熱い」と2度訴えはしても,それほど酷く長く苦しんだようには見えない。
- 確実にいえることは,世界の常識では,尊厳死=幇助自殺or自発的積極的安楽死,だということだ。尊厳死は生命維持治療の差し控え・中止であって,安楽死とは違います,なんていう定義は,現在,日本以外のどこで通用するのか。
- スペインの特殊性,ガリシア地方の特殊性
- フランコ総統による独裁政権の影響をどこまで割引けるか。碇順治(スペイン現代史研究家:日欧翻訳研究塾主催)によれば,ラモン自身によって「(独裁政権下の)29年前の法律と,民主化後の法体制では可能性の点で状況が全く異なっていた」と遺書に記されているという。
- ラモンが四肢麻痺になったのが1968年。民主化が1975年。スペイン初の自発的安楽死の申請を行ったのが1993年。国営テレビで放映。1995年,刑法改正で自殺幇助がが2−3年の実刑に減刑。ラモンの自殺幇助を行った女性(ロサの原型か?)は容疑者として一度は逮捕され証拠不十分で即刻釈放されたが,2005年1月11日の時効成立後幇助を認めているという。
- フランコ総統の最期も又,昭和天皇のごとく「延命」期間が続いて,「ああはなりたくない」モデルとなった,という話をどこかで読んだ記憶がある。これは要チェック。何しろ,1975年だ。
- フランコ後のスペイン社会はどんなだったのだろう。今現在はどんななのだろう。何しろ,フランコ独裁から,一気に王制に復帰した国だ。とはいえ,政治そのものの主導権は,左派が強い力を握っている。このあたり,カトリックお膝元のイタリアと似ているのだろうか。
- むろん,スペインとひとくくりにする以上に,ガリシア地方の特殊性の影響も強いだろう。貧しさ,頑迷なキリスト教信仰との対比が,理性的で人道的な「死ぬ権利」を,いかにも新しく見せてしまう。他方でガリシアの頑固さとマチズムが,死ぬ権利要請の頑迷さに結びつく。
- とりあえずスペイン,ガリシアの特殊性を割り引いて話を進める。
- 映画は,マッチョな男に,(自殺幇助までして)献身的に尽くす女,という構図が全編を支配している。
- ラモンが「尊厳死」を選ぶ理由:「家族を養えないこと」,「世話を受けていること」のみじめさ。それは「面倒をかけていること」「足手まといになること」の済まなさに悩むのとは,似ているようで決定的に異なる。後者は負担をかける他者への思いが多少なりとも存在するが,前者は自らの屈辱感に立脚するものだからだ。フリアが背後で倒れたとき,振り返ることさえできないラモンの叫び声に,「守れないこと」への苛立ちが浮き彫りになってる。
- そのラモンを,献身的に尽くす女たちがとりまくという構図。当初,死ぬ権利を訴えるラモンの姿をTVで見て,愛情を向ける対象を発見した!とでもいうようなある種歓喜の表情を帯びて,見ず知らずのラモンを訪問し,「生きる価値」を説きにやってくるロサの姿も又,けして愉快なものではない。だが,なんといっても不愉快なのは,恋愛感情から看病をしたい,あなたのためならなんでもすると申し出るロサに,「僕を本当に愛しているのは,僕を死なせてくれる人だ」とロサの(愚かな)愛情を利用して,ラモンが幇助自殺を遂げること。最期の日,ロサの住む,海の見える町のホテルの最期の夜には,結婚申請書さえ仄めかして。ラモンはロサを操り,ロサはラモンを最初は世話することで,次には死なせることで所有しようとする。片やラモンは,フリアに「約束しよう。自由になった魂で,きっとあなたを抱きしめる」という言葉を遺すのだ。
- 唯一例外があるとすれば,フリアと夫の関係か。『脳血管性痴呆』の発作で身体機能を失っていく妻,最後ラモンの記憶さえ失った妻を見守りつづける。映画のメッセージは,中途の決断どおり「決行」することを翻意したために,一度は心を通い合わせたラモンの記憶とともに,「人格」を失ってしまうフリアの「みじめさ」で映画を終えようととする意図は,働いているのだろう。だが,フリアの表情は,フリアの髪を乱して演出してもなお穏やかで,それほど惨めにも見えない。私はむしろ,映画では描かれてなかった,フリアと夫の関係の物語を主軸にした作品をみたいと思った。進行してゆく病に恐れ,それゆえに「これは私にとって意味のあること。私はラモンを理解できる」と,ラモンの幇助自殺の弁護を買って出たフリン,一度はラモンの非合法秘密裏の自殺を幇助し,同時に自らの自死も決意したフリアが,なぜそれを翻意するに至ったのか,痴呆がすすんで友人たちの区別も,おそらくは時に夫さえ区別できなくなったフリアの,あの穏やかな日々と,そこにいたる葛藤,それを支えて見守り続ける夫の葛藤と,やはり穏やかな心境を主軸にした物語は,充分な1本になるはずだ。それとも,そんな話は古くさくて,いまどき問題提起も話題性もない,ということか?いや,ちゃんとひねりを利かせれば,安楽死問題を組み込んでなお,ただ存在することの価値を描く物語を語りうるはずだ。
- とはいえ,フリアとそれを支える夫の生活は,ほとんど描かれない。ラモンとその家族のそれのように悲痛ではなく見えるのは,フリアと夫の財力に支えられていることが示唆されるからか。フリアが弁護士であることはわかるが,夫の職業は不明。しかし,夫がフリアの介護をしているようには見えない。そもそもフリアの介助生活はマヌエラがフリアを浴槽に運ぶシーンしか描かれない。だが,痴呆前に住んでいたらしい都会の住居,痴呆発症後の海の見える屋敷はいずれも豪華で,彼らの財力が並大抵でないことを伺わせる。だが,現実には,「死ぬ権利」運動は,中産階級の手で始められ,その実行者も多くは高学歴の中産階級である。とすると,「自己コントロールできないことを惨めだと自覚する程度にものを考え,他者の手で完全に自己の生活をコントロールするだけの財力はない,あたまでっかちの中産階級」が,尊厳ある自死を選ぶ,ということか?
- なんといっても残念なのは,「尊厳死=安楽死,自殺幇助」反対が,情けないほど頑迷な四肢麻痺のカトリック神父と,やはり頑迷な家父長的権威を振り回す言葉しか持っていない(本意は違うように思う)兄の口からしか語られないことだ。つまり,尊厳死反対の論理が,生き続けることの価値が,えせ宗教と無知によってしか構成されていないことである。その構図が,私から見るといかにも古い。これは20年前の死ぬ権利運動の主張,20年前につくられた,SOL対QOLの構図ではないのか?
- いやしかし,あるいはそれは今のアメリカを見てもそうだということか?テリ・シャイボのケースで,ブッシュの主張(国家は最弱者の生命を守る義務がある)はひどくまともだと,私は思ったけれど,ブッシュが言った途端,その「まともさ」はまともに見えなくなる。日本のニュースだけでなく,ABCもCBCも,あれをブッシュ=プロライフ(=キリスト教原理主義)の狂信の構図でしか報道しなかった。とすると,欧米キリスト教圏の「死ぬ権利」運動というのは,果たして本当に「死ぬ権利」運動なのか,それとも「反キリスト教」運動なのか,そもそもの動機は,ひょっとしたら異なるところにある/あったかもしれない,ということだ。マルクシズムの側面がアンチカトリシズムであったように。そしてまた,日本にはアンチ…と標榜すべき,大きな権威となる一枚岩のような伝統宗教はないのだから(と,とりあえずいっておくが),だとしたら,日本の「死ぬ権利」運動は,自殺幇助や積極的安楽死を射程に入れ(ていると私は思う)た「尊厳死」の実現を求めながら,実際は何の実現を求めているのか,ということだ。
- 前段の話に戻れば,いまや教育と福祉がそこそこ行き渡り,みながそこそこの教育をうけてそこそこものを考え,そこそこの暮らしを享受できるようになったから,みながそこそこの「尊厳ある自死」をよしとするだろうということなのだろうか。少なくとも,その素地はできつつある。なぜならば,知識はないけれども知恵はある,マヌエラ(ラモンの義理の姉)や,切れるとはとうていいえないけれどそこそこの現代的教育を受けた甥のハビはラモンの自己決定を尊重し,神父のつきそいの(たぶん)神学生たちでさえ,ラモンの主張に傾聴するやにみえるのだ。
- とすれば,「尊厳死の権利」の保障,などというものよりも,もっと大きな影響は,やはり,健康に働いて当面の社会保障の支え手となる若者たち・壮年者たちの間に「自己コントロールできない生は,みじめな,生きるに値しない生であり,生命終結をしてあげることが彼らのためである」という価値観が形成されることだろう。かつての私の教え子の一人は,彼らを死こそ幸福だとの考えに到達させる社会こそが進化した社会だといった。そしてその価値観は,必ずや社会保障費の削減につながる。そのことの帰結を,それを直に受けるはずの年代である,現在死ぬ権利運動の中心となっている初老の11万人の人々は,分かっているのだろうか。いや,分かっているからこそ,初老の自らの「始末」を合法化しようとするのか?
- それにしても,ラモンはなぜ,「今までの自分の人生は尊厳とはほど遠いものだった」としか振り返り得なかったのか。家族や友人に囲まれてなお。実際に,ラモンの周りにはラモンを慕う女たちがいて,ハーレムのようだったという。女たちに愛され,献身的に尽くされても,女を守るべき男たる彼にとっては,それが負担だったということか?女たちを養えない,ということ,女たちを肉体的に愛せないということが,そんなにもプライドを傷つけることだということか。とすると,やはり理由は彼のマチズムに行き着く。肉体の愛し方だってさまざまであろうに,あの拘り方はむしろ痛々しい。
- とすると,安楽死運動の根底にあるのは,究極,健康な者の「老い・病・障害」憎悪なんじゃないか。健康なものが自らの内部にある「老い・病・障害」性,つまり,できないこと・醜いことを憎悪して,健康である自らの価値を互いに確認し合う行為なんじゃないか。いやもっと端的にいえば,健康な人間の「障害者」性憎悪なんじゃないか。ラモンは執拗に車いすに乗ることを拒否する。その理由を,彼は「車いすの生活は,残された自由の残骸にすがりつくことだ」と切り捨てる。果たしてそうなのか。
- セジウィックは,男性中心社会を,「男同士の絆(ホモソーシャルな欲望)にもとづく,女性嫌悪(ミソジニー)と同性愛恐怖症(ホモフォビア)に彩られた社会」(Sedgwick
1985)と定義したけれど,それと同じことが,健康中心社会における安楽死・尊厳死運動についてもいえるはずだ。
- 絶望的なのは,この映画評で,ピーコが「44才で癌になって,美味しくて楽しくて,気持ちいい。そんな生活がずっと続けばいいという生き方をしていた,いつも自分のことしか考えなかった自分が,命にもかかわる病に出会って自分の生き方が間違っていたことに気づいた」,と書きながら,同じ稿で「ゲイでひとり身の60歳になる私には尊厳死は身近な問題だ」と書き付けてしまうその反転だ。「自分らしく」生きることの権利を闘うフェミニストや同性愛者が「自分らしく」死ぬことに同調することは,珍しい話ではないが,「自分らしさ」を追求する欲望の独善性に病を得てはじめて気づいたというピーコが,しかしなお,「尊厳死」の欲望の独善性にも,ヘルスソーシャルな欲望(とでも名づけられるか)の独善性にも気づきえない。同じことは,死に直面したサバイバーたちが,いのちの教育で「よき死を考えることはよく生きること」という,お決まりの台詞で自らの体験を語ってしまうことにも言える。本当に,「よき死を語ることがよく生きること」を語ることになっているのか,ひょっとしてある特定の死だけが「よき死」と語られているように,ある特定の「生」が「よき生」と語られていないか,ちゃんと精査しないといけない段階に来ている。
- それにしても,だ。安楽死・尊厳死思想が,ホモソーシャルな欲望同様,ヘルスソーシャルな欲望(健康増進社会である)にもとづく,老い・病・障害への憎悪と恐怖に彩られているのだとしたら,安楽死・尊厳死思想に対抗しうる論理と語りは,並大抵では成功しないということだ。絶やさぬ笑顔とユーモアは,本来は病者・障害者の生き抜くための知恵だ。対比的に,あくまで惨めな生よりも「尊厳ある(マッチョな)」死を求めるラモンの絶やさぬ笑顔とユーモアは,彼のマチズム,彼のヘルシズムの無惨な残骸だと私は見けれど,多くの人は,そこに癒されてしまうからだ。とすると,ホモソーシャル=ヘルスソーシャル批判はそれほど簡単じゃないことがわかる。
- だから結局は,いつもの結論に落ち着く。男たちの生き難さ,普通のひとびとの生き難さ,つまり,マジョリティ/メインストリームの生き難さと,マイノリティ/サバルタンの生き難さを重ね合わせないと,それは成功しないということだ。そして,それは「いずれあなたたちも当事者になる」なんていうずらし方,脅しの語りじゃ利かない,ということだ(これはいつか来た道,なんて脅しが陳腐なのと同じだ)。だってこれは「当事者」にならないように,幸せなうちに「死のう」「死なせよう」って話なのだから。
- 解きほぐせないもの。Tが言っていたように,「海」が象徴するもの。ラモンが終始夢想する海が何を象徴するか?「空」ではないのだ。それが「空」ならば,自由と読めるだろう。だが「海」であることに,Tがいうようなアニミズムを,そこにみることができるだろうか。確かに,そこには「理性的で人道主義にもとづく合理的自殺の権利」とは異質なものが存在している。それは太田典礼にも通じる問題だ。もちろん,彼には「海に還ろう」なんて情緒性はみじんもなかったが。