人工生殖の系譜図 | |||||
作表にあたっては,主に以下の文献を用いた他,種々の新聞記事,論文,報告書などにより補完している。 | |||||
Andrews, Lori B., 1999, "The Clone Age: Adventures in the New World of Reproductive Technology", Henry Holt, , (=2000, 望月弘子訳,『ヒト・クローン無法地帯――生殖がビジネスになった日』,紀伊國屋書店) . | |||||
Baker, Robin, 1999, "Sex in the Future: Ancient Urges Meet future Technology", (=2000, 村上彩訳,『セックス・イン・ザ・フューチャー――生殖技術と家族の行方』,紀伊國屋書店) . | |||||
Corea, Gena, 1985, "The Mother Machine", (=1993, 斎藤千香子訳,『マザー・マシン――知られざる生殖技術の実態』,作品社) . | |||||
d'Adler, Marie-Ange; Teulade, Marcel, 1986, "Les Sorciers de la Vie ", Gallimard, Paris, (=1987, 林瑞恵/磯本輝子訳,『生殖革命――問われる生命倫理』,中央公論社) . | |||||
出口顯, 1999, 『誕生のジェネオロジー――人工生殖と自然らしさ』世界思想社. | |||||
市川茂孝, 1987, 『背徳の生命操作』農文協 | |||||
Pence, Gregory E., 1995, "Classic Cases in Medical Ethics:Accounts of Cases that Have Shaped Medical Eth", The McGrao-Hill Companies, Inc., New Youk, (=2000, 宮坂道夫・長岡成夫訳,『医療倫理1 ――よりよい決定のための事例分析』,みすず書房) . | |||||
Singer, P.et Wells, Deane , 1984, "The Reproduction Revolution: New Ways of Making Babies", Oxford University Press, New York, (=1988, 加茂直樹訳,『生殖革命――子供の新しい作り方』,晃洋書房) . | |||||
技術(家畜・動物実験) | 技術(人間) | 報告・統計 | 事件・裁判 | 法制化への動き | |
18世紀 | 1779 [伊] 生物の人工授精 司祭であり生理学者であったラツァロ・スパランツァーニ,卵子と精液の接触によるカエル,魚,犬などを用いた実験が行われる(Corea, 1985=1993: 48)。 {1782 [伊] 生物の人工授精 生理学者ラザーロ・スパランザーニが犬を用いて行ない,成功した。(天笠, 1998: 34)。} |
1776 [英] 人工授精(AIH) スコットランド人の外科医,ジョン・ハンターにより,尿道下裂の織物商に暖めた注射器で妻に妊娠させることに成功。ただし,ハンターは道徳家たちからの批判を恐れ,これが英国王立学士院の会報に公表されたのは,ハンターの死後,1799年のこと(Mclaren, 1984=1989: 31)。 {1790 [英] 人工授精(AIH) スコットランドの解剖学者で,外科医のジョン・ハンターが生地屋の妻に対して世界初の人工授精児誕生(Corea, 1985: 48),(天笠, 1998: 34)。} |
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19世紀 | AIHは19世紀にイギリス,ドイツ,フランス,アメリカで,ごくわずかながら行なわれていたと伝えらる(Corea, 1985=1993: 48-9)。 | ||||
1884 [米]
人工授精(AID) フィラデルフィアのジェファーソン医科大学教授,ウィリアム・パンコースト博士による。患者はクェーカー教徒であり,乏精子症の商人の妻。(d'Adler et Teulade, 1986=1987: 205-6),(Corea, 1985=1993: 21),(Andrews, 1999=2000: 95) |
[1984年以降]40年間,AIDの是非をめぐって何度か論議が交わされ,その報告が米・独の医学雑誌に数件掲載された(Corea, 1985=1993: 48-9)。 | ||||
19世紀末
[日] 馬の人工授精が試みられる。(市川, 1987: 13) |
1892
[日] 日本でも人工授精を試みたことが報告される。(新村, 1996: 215) |
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20世紀 | 1914
[伊,露] ジュゼッペ・アマンティア,人工膣(artificial vagina)を考案。その後ロシアで牛・馬・羊用の人工膣が開発さる(市川, 1987: 13-4),(Corea, 1985=1993: 50)。 |
20世紀に入っても,人工授精はきわめてまれであり,人々の関心を呼ぶようになったのは,家畜の人工授精が普及した第二次世界大戦以後(市川, 1987: 27)。 | |||
1949
[米] 最初の精子銀行設立。 |
1938 [米]
ストルナッド事件 離婚した妻がAID児への夫の訪問権を否定するために子の非嫡出性を争ったが嫡出子とされた(石川, 1991: 9)。 |
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1949 [日]
人工授精(AID) 慶応大学,安藤画一により国内初のAID児誕生。(市川, 1987: 27) |
1945
[英] AIH15例・AID15例が報告される。(Corea, 1985=1993: 49) |
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1940-50年代初
[米,英] 凍結精子による人工授精の実験・開発。(市川, 1987: 16-20) |
1953 [米]
凍結精子による人工授精 アイオワ大,シャーマン・ブンケにより凍結精子による人工授精児誕生。(市川, 1987: 31) |
1954 [米]
ドァーボーン事件 離婚した妻がAID児への夫の訪問権を否定するために子の非嫡出性を争い非嫡出子とした(石川, 1991: 9)。 |
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1958 [日]
凍結精子による人工授精 慶応大,飯塚理八・沢田喜彰凍結精子による人工授精児誕生。(市川, 1987: 31) |
1957
[米] 1957年までに10万人のAID児が生まれたと見積もられている。(Singer and Wells, 1984=1988: 112) |
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[蘭] 1948-1960のAIDは10例以下。(Corea, 1985=1993: 49) |
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1960
[米] AID児の出生は年5000〜7000人。その後20年間ほぼ同じ。(Corea, 1985=1993: 49) |
1963 [米]
ガースキー事件 離婚した妻がAID児の養育費を請求し子の嫡出性が認められた(石川, 1991: 9)。 |
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1976
[米] ノエル・キーン弁護士,ニューヨーク不妊センター(ICNY)設立。代理母を仲介し始める。 |
1977 [米]
C・M vs. C・C事件 未婚の友人(C・M)に精子提供した男性(C・C)が訪問権を主張,認められた(石川, 1985: 90)。 |
1973
[米] 統一関係親子法 AID児の法的地位を守る |
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1978- (体外受精以後) |
1978 [英]
体外受精 世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウン誕生。 |
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1979
[米] ロバート・グレアム(検眼士,眼鏡用のハードレンズの開発で富をなした),ノーベル賞・オリンピック級の精子を選別された女性に「提供」することを目的に胚選別貯蔵所を設立。(Andrews, 1999=2000: 153-70),(d'Adler et Teulade, 1986=1987: 121-2) |
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1980
[豪] オーストラリア初の体外受精児,キャンディス・ライド誕生(石井, 1991: 21)。 |
1981 [米]
K・S vs. G・S事件 AIDによって子が生まれた後,妻K・Sが夫G・Sに離婚を申し立て,かつ子の扶養を求めた。夫が口頭で行った同意とその撤回が問題となったが,夫は子の法律上の父とされた(石川, 1985: 91)。 |
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1982
[仏] フランス初の体外受精児アマンディーヌ誕生。(d'Adler et Teulade, 1986=1987: 29) |
1981 [豪]
リオス事件 体外受精を試みたリオス夫妻は凍結受精卵を遺して飛行機事故死。胚の人格性,生存権,胚の遺産相続権が議論された。豪政府の特別委員会は廃棄を勧告したが,議会は胚の養子先が決まるまで保存することを決定。(Pence, 1995=2000: 195-8) |
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1982
[米] 独身やレズビアンの女性への提供を主たる目的としたカリフォルニア精子銀行設立。(Andrews, 1999=2000: 109) |
1981
[米・カリフォルニア州] ブヒマンvs.ノエス裁判 SM型代理出産の直前,ノエス夫人が性転換者であることが発覚。代理母は養育権を求めて提訴。出生証明書にはノエス氏の名が書かれて養育権は代理母ブヒマンに。後,ブヒマンはホームレスになり子は養護施設へ(山海谷, 1991e: 45)。 |
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1983
[米] 夫の死後のAIH児誕生。(Andrews, 1999=2000: 267) |
1983 [米]
スタイヴァーvs.マラホフ事件 依頼者が小頭症で産まれたSM代理出産による子のDNA鑑定を要求。代理母ジュディ・スタイヴァーと夫の子であることが判明しスタイヴァー夫妻が子を引き取った。(Singer and Wells, 1984=1988: 183-4),(Corea, 1985=1993: 255-6),(Pence, 1995=2000: 216) |
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1983
[豪] 提供卵による世界初の体外受精児誕生(Silver, 1997=1997: ) 。 |
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1983
[豪] 提供受精卵による世界初の体外受精児誕生。 |
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1983
[日] 東北大,鈴木により国内初の体外受精児誕生。 |
1984 [仏]
クレテイユ判決 膀胱癌で死亡した夫が生前凍結保存した精子で人工授精するために精子保存センターに精子の返還を求めて未亡人が提訴。勝訴したが出産には至らなかった(松川, 1991: 176-8)。 |
1984 [英]
ワーノック勧告 前年保健社会保障省内に設置されたワーノック委員会による生殖技術に対する調査・見解書。これをうけて1990年,HFEAが制定された。 |
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1985
[仏] 私的な代理母協会であるアルマ・マーテル協会設立。二年間で71人の子が代理母より出産され,依頼者に引き渡された(高橋, 1991: 44-5)ga。 |
1985 [西独]
ベンダ報告 体外受精・遺伝子治療に関する政府付の勧告書。 |
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1985 [英]
コットン事件 英国初のSH代理母キム・コトンがアメリカの会社の斡旋でアメリカ人夫婦のために出産し,英国社会はパニックに。(出口, 1999: 42),(d'Adler et Teulade, 1986=1987: 205-6) |
1985
[英] 代理出産取り決め法 コットン事件を受けて商業的代理母を禁止されたが,補償程度の謝礼つきの代理出産はHEFAによる許認可制。 |
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1986
[豪] 凍結卵による世界初の体外受精児誕生。しかし卵の凍結は損傷が激しく,成功例は少ない。他に87年に独で1例。凍結精子とICSI法の組み合わせで1997年に伊と米で誕生。(出口, 1999: 41-2),(Andrews, 1999=2000: 254) |
1986
[米] アリハーンドラ・ムニョーリス事件 又従姉妹夫婦に胚洗浄を依頼されメキシコから米国に違法入国。結局,SMによる代理出産。英語が読めないため健康保険も出生届も又従姉妹の偽名を強要されたが,親戚の協力を得て共同監護権と米国滞在兼を得た(Klein ed., 1989=1991: 218-27)(Chesler, 1989=1993: 122-28)。 |
1985
[スウェーデン] 人工授精法 AID児の父を依頼人と定めるとともに,子は成人後,遺伝上の父を知る権利を持つことを定めた。 |
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1986 [米]
代理出産[HM] HMによる初の商業的代理出産 |
1986
[米・ワシントン] 姉のために姉の夫の精子を用いたSMで代理母となった麻薬常習歴のある女性が,エイズ感染の子を出産。双方とも子供の養育を拒否。(山海谷, 1991e: 45) |
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1987 [米]
ベビーM事件 スターン夫妻の依頼を受けてSM代理出産したメアリーベス・ホワイトヘッドは出産後引き渡しを拒否。代理母契約と子の親権をめぐって裁判に。下級審では契約有効となったが,翌年の上級審で無効に。養育権はウィリアム・スターンに,メアリーベスには訪問権が認められた。(Chesler, 1989=1993),(Pence, 1995=2000: 216-54)他 |
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1987
透明帯改稿法による初の顕微授精成功(佐藤・坂元・山田, 1998.9: 10) 。 |
1987
[米・テキサス州] 代理母初の死亡事故 心臓疾患を患っていたデニス・マウンスは代理母となって妊娠八ヶ月で死亡。事前の健康調査では見落とされていた。母パッtpは斡旋業者と医師を提訴(Chesler, 1989=1993: 116, 129),(山海谷, 1991e: 45)。 |
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1988 [仏]
ブレバン報告書 フランス国家倫理諮問委員会,生命倫理の基本理念を提示 |
1988
[米・ミシガン州] ノワコウスキー事件 男女の双子をSM代理母のパティ・ノワコウスキーが出産したが,依頼者は女児しか引き取らなかったため,訴訟に。ノワコウスキーは男女二人を得た(山海谷, 1991c: 60)。 |
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1990
[日] 日本人夫婦4組がアメリカの代理母斡旋業者の元で子を得ていたことが発覚(山海谷, 1991c: 60)。 |
1990
「米・ニューヨーク州] AIHで生まれた夫の忘れ形見(夫は誕生後すぐに死亡)のはずの子が両親とも白人にもかかわらず黒人の外見をしているとDNA鑑定の結果,他人の精子と混同したことが判明し提訴(朝日新聞1990.03.10)。 |
1990
[独] 胚保護法成立 |
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1990 [米]
ディヴィス事件 離婚夫婦が凍結受精卵の処置をめぐって訴訟。1審は胚を人(胎児)として妻に監護権を付与。2審は人か物か明示することなく両者の共同管理下に(石川, 1991: 12)(Silver, 1997=1997: 101-4) 。 |
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1991 [米]
デボラ・ヘクト事件 自殺する前にウィリアム・ケインが恋人デボラに遺した凍結精子を,ウィリアムの先妻の子が廃棄を求めて提訴。上級審はデボラの財産相続権(20%)相当の精子の相続を認めた。その精子での妊娠に失敗したデボラは1998年残りの精子を求めて提訴し勝訴した。(Andrews, 1999=2000: 267-9) |
1990
[英] 生殖技術規制法(HEF法) |
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1992
[日] 東京大,人工子宮の培養液で山羊の胎児を3週間育て,装置から出して誕生させることに成功。 |
1992 [米]
ジェイコブソン事件 患者に無断で自分の精子を用いた。20年間に15人から75人の人工授精児がセシル・ジェイコブソン(米国に羊水穿刺を導入)医師の精子で誕生した。医師は懲役5年と罰金刑。(Andrews, 1999=2000: 95-100) |
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1993
[米] 顕微授精(ICSI)による世界初の体外受精児誕生。(Andrews, 1999=2000: 252-3)以後,顕微授精はICSIが主流になる。 |
1993
[米・カリフォルニア州] ジョンソンvs.カルバート判決 HM商業的代理出産による子の養育権が争われた。カリフォルニア最高裁は代理母の訴えを却下。(Pence, 1995=2000: 251) |
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1993
[英・伊] 高齢出産 59歳のイギリス人の女性実業家がイタリアのアンティノーリ医師のもので提供卵と夫の精子による胚を移植し出産。(朝日新聞1994.01.11)。 |
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1993
[伊] 白人と結婚した黒人女性に「白人の方がよい将来を望める」という希望を受け入れ,白人の提供卵で体外受精(朝日新聞1994.01.11)。 |
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1994
[英] エジンバラ大学のロジャー・ゴスデン教授らが中絶胎児の卵母細胞を用いた体外受精の研究を発表。論争になる。(出口, 1999: 170-3) |
1994 [米]
ブザンカ裁判 ブザンカ夫妻は卵子と精子の提供を受け,HM代理出産を依頼したが,夫のジョンは子の出生前に離婚訴訟を起こし,子の養育義務はないと主張。下級審ではこれが認められ子の法的な親は存在しないと定められたが,上級審では逆転。ルアンに監護権,ジョンに養育費の支払いが命じられた。一時,HMも親権を主張し混乱した。(Andrews, 1999=2000: 151-2),(Baker, 1999=2000: 2257-9) |
1994
[英] HFEA,中絶胎児の卵母細胞の研究,及び死亡女性の卵子を不妊女性に移植する臨床手術を禁じる。(出口, 1999: 172-3) |
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1994
[米・カリフォルニア州] Moschetta vs. Moschetta vs. Jordan事件 SM型の商業的代理母が妊娠中に依頼者夫婦が離婚手続きを開始,出産後別居。夫・妻・代理母の間で養育権が争われた。親権は夫と代理母に。判決は夫と代理母の共同監護権を認めた(山海谷, 1991c: 58-60),(樋口, 1995: 130-1)。 |
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1994 [伊]
高齢出産 3年前に17歳の息子を事故で失った62歳の女性がアンティノーリ医師の元で提供卵と夫の精子による受精卵で出産(朝日新聞2001.01.04)。 |
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1994
[米・ニューヨーク州] McDonald vs. McDonald事件 IVF/EDによる体外受精で双子を得た後,夫婦が離婚。養育権が争われたが,判決は妻の監護権を認めた(樋口, 1995: 131) 。 |
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1994
[伊] 妻の死後,保存されていた凍結受精卵を夫の妹がHM代理出産。(出口, 1999: 42),(Andrews, 1999=2000: 279) |
1994
[仏] 生命倫理三法成立 |
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1995
[蘭] 病院のミスで他の黒人の精子が混じった精液により白人(夫の子)と混血(他人の子)の双子を出産したことが公表された(朝日新聞1995.06.21)。 |
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1995 [米]
インディアナ州 オースティン事件 独身のジェームズ・オースティンはアメリカ不妊センターの斡旋で代理母フィリス・アン・ハドルストンを3万ドルで雇い子ジョナサンを得たが,6週間後に虐待し死亡させる(朝日新聞95.01.19夕)(Caplan, 1998=1999: 76-8)。 |
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1996
[英] ロスリン研究所にてウィルムット教授らにより,体細胞クローンの子羊ドリー誕生。 |
1996
[英] オールウッド事件 排卵誘発剤で八つ子を妊娠。減胎手術を拒否し全員流産したが,TV・タブロイド新聞をにぎわせ,多額の収入を得た。(Andrews, 1999=2000: 76-7)(Caplan, 1998=1999: 68-70) |
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1996
[米] 63歳の女性が年齢を偽って卵の提供を受け出産。(Andrews, 1999=2000: 125) |
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1996
[英] 凍結胚の大量処分 HEF法発効後,保存期限を過ぎた3000を超える凍結胚の大量処分が行われ,社会問題となった。(出口, 1999: 127-34),(Andrews, 1999=2000: 87-91)(Silver, 1997=1997: 104-6) |
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1996 [英]
ダイアン・ブラッド事件 夫の死後採取した精子での人工授精を求めて提訴。下級審での敗訴の後1997年の上級審で勝訴したダイアン・ブラッドはICSI法で1998年男児を出産した。(出口, 1999: 143-53),(Andrews, 1999=2000: 281) |
1997 or 8?
[英] ダイアン・ブラッド事件を機に生前に本人の意思が明確に示されていない限り,死後の精子採取を禁じる法が制定された。(Andrews, 1999=2000: 281) |
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1997 [米]
マカヒー「事件」 排卵誘発剤で七つ子を出産。全員健常児だったが,減胎手術を拒否して重度障害児を出産する危険性を侵したことが批判された(Pence, 1995=2000: 200-1)。他方,夫妻にはさまざまな援助,寄付,コマーシャル,写真撮影権買収の申し出があった(Andrews, 1999=2000: 64-78)。 |
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1997 [米]
アッシュ事件 GIFT法の開発者であるリチャード・アッシュ医師が百組以上のカップルの卵や胚を他の女性に無断盗用。84の訴訟がアッシュと大学に起こされ,大学当局とは慰謝料で和解したが,アッシュはメキシコに逃亡。(Andrews, 1999=2000: 79-84)(Caplan, 1998=1999: 65-7) |
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1997
[米] ラエリアン教団,クローン人間作成をめざすクロネイド計画のためにヴァリアント・ベンチャー社を設立。(Andrews, 1999=2000: 283-92) |
1997 [英]
ロッシュ事件 ボランティア(休職の補償として12,000ポンド支払う契約)のSM代理母カレン・ロッシュはオランダからの依頼人ペーターズ夫妻に不信感を抱き中絶を伝えたが後に嘘と判明。出産した男児の引き取りを拒否した。経緯は逐一タブロイド紙をにぎわせた。(出口, 1999: 154-70) |
1997
[ユネスコ] ヒト・ゲノム及び人権に関する世界宣言にクローン人間作成の禁止が盛り込まれる。 |
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1998
[英] ドリーに自然交配によるメス子羊ポニー誕生。体細胞クローンに正常な繁殖能力が備わっていることを証明。(菅沼 2001: 97) |
1998 [米]
クローン人間 リチャード・シード,不妊カップルを対象に2年以内にクローン人間の誕生をめざす人間クローン診療所の設立を発表。(出口, 1999: 60)(Andrews, 1999=2000: 299) |
1998
[ベルギー・豪] ICSIで生まれた子どもは自然出産の子どもよりも染色体異常が2倍多い。(Andrews, 1999=2000: 253) |
1998 [日] 根津医師,ガイドラインを,無視して姉妹の卵子提供によるIVF/EDを行っていたことを公表。日本産科婦人科学会から除名された。 |
1998
[米] クリントン大統領,クローン人間誕生をめざす研究を5年間禁止する法案提出。共和党のクローン人間完全禁止動議は42:54で否決された。(出口, 1999: 60) |
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1999 [英]
男性の妊娠・出産 ウィンストン医師,男性による妊娠・出産の現実性を発表。受精卵を腹腔に移植し,大腸などに着床,胎児は胎盤を通して栄養を得,開腹手術で出産。原理は女性の子宮外妊娠と同じであり,その場合の出産例はある(朝日新聞1999.02.22)。 |
1999年
[伊] 2年以上の不妊夫婦か長年連れ添ったカップル間の人工授精と体外受精を認めるもので,独身者,同性愛者,夫の死後の受精卵着床も認められない法案が下院を通過した。イタリアでは生殖技術を規制する度々の勧告や報告書の一方で,代理出産を含めかなり自由な施療が行われて来たが,1995年,妻の死後の受精卵を用いて夫の妹が代理出産した事件を機に,法制化の機運となった。出口, 1999: 42-50),(Andrews, 1999=2000: 279) |
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2000
[米] ES細胞を発見したジェロン社,クローン羊ドリーの誕生に成功した英ロスリン研究所を有するロスリン・バイオメド社を買収(NHKスペシャル,2000) |
2000
[日] ヒトクローン技術規制法成立(2001年6月施行) |
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2000
[日] 卵の凍結に適した凍結保護剤を開発。卵凍結の実用可能性踏み出す(朝日新聞2001.01.04)。 |
2001
[英] 上院,ヒトのクローン胚から臓器、研究認める法案可決(朝日新聞2001.1.24)。 |
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2001
[米,伊] 米ケンタッキー大のパノス・ザボス教授,イタリア人医師セヴェリノ・アンティノリ,不妊治療の一環として1・2年以内にクローン人間を誕生させる計画を発表(朝日新聞2001.01.29)。 |
2001
[日] 根津医師,ガイドラインを無視して代理出産を行っていたことを公表(朝日新聞2001.05.19)。 |
2001 [伊]
アンティエリ医師のクローン人間誕生計画発表に対し,クローン人間禁止議定書の批准を承認(朝日新聞2001.03.16)。 |
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作成:大谷いづみ UP 20040727 |