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『ヴァチカン・アカデミーの生命倫理――ヒト胚の尊厳をめぐって』 秋葉悦子訳著, 20051215, 知泉書館,211p. ASIN: 4901654616 4000+税 ◆秋葉 悦子訳著 20051215, 『ヴァチカン・アカデミーの生命倫理――ヒト胚の尊厳をめぐって』, 知泉書館,211p.[amazon]/[boople] oi 内容(「MARC」データベースより) 生命倫理学の誕生と系譜、その基礎について論じるとともに、ES細胞研究やヒトクローニング、生殖補助医療などヒト胚をめぐる議論を中心に、人間の尊厳にふさわしい科学と技術について明快に論じ、方向性を示す。 ■目次 序 I 人格主義生命倫理学 1 人格主義生命倫理学の系譜 1 生命倫理学の基礎――カトリック倫理神学 2 世俗的な生命倫理学の誕生 3 人格主義生命倫理学の発展 2 人格主義生命倫理学の基本原則:「人間の尊厳」 1 国際法の最高原理としての「人間の尊厳」 2 「人間の尊厳」概念の混乱 II ヒト胚の始まりに関する科学的事実とES細胞研究の禁止 3 ヒト胚性幹細胞の作成および科学的・治療的使用に関する宣言(教皇庁生命アカデミー) 4 ヒト胚:人か、それとも科学技術の貴重な道具か?(アンジェロ・セラ) 5 異論に対する反論 III ヒトのクローニングの禁止 6 クローニングに関する考察(教皇庁生命アカデミー) 7 ヒトのクローニングに向かって?――科学の新たなフロンティア(アンジェロ・セラ) 8 「智恵」から見たヒトのクローニング(アンジェロ・セラ) 9 ヒトのクローニングの禁止をめぐる国際的な議論への寄与 IV 生殖補助医療について 10 イタリアの「生殖補助医療に関する法律」――ヒト胚の人格と法的主体性の承認 11 医師の職務倫理と「生殖補助医療」(アンジェロ・セラ) 12 生殖補助技術の優生学的視点――着床前遺伝子診断(アンジェロ・セラ) 13 カムフラージュされた胚と避妊(アンジェロ・セラ) あとがき ■引用 I 人格主義生命倫理学 1 人格主義生命倫理学の系譜 3 人格主義生命倫理学の発展 「人格主義生命倫理学が提示するのは以下の諸原則である。 @ 「自己および他者の人格の尊厳の尊重」 A 「人間の生命の絶対性」:世俗的な生命倫理学が共通して「生命の質」を絶対視し、ある条件の下でのみ人間の生命の価値を認めるのに対し、人格主義生命倫理学は、人格的生命であるがゆえに、人間の生命それ自体に絶対的な価値を置く。もちろん人格主義生命倫理学においても生命の質の価値は承認されているが、それは、ある「実質(sostanza)の「偶然性」の質にすぎず、生命の尊重がその上に基礎を置くべきものとして価値があるとは考えられていない。 B 「自由と責任の原則」:自由はつねに責任を伴う。他者の自由の尊重が重視される。 C 「全体性の原則」:部分は全体のためにある。人格は精神と身体の統一された全体である。それゆえ身体は人格の一部として不可侵である。 D 「正義の原則」:正義と社会の連帯の基準にしたがって、生命と健康に奉仕するために自由に処分しうるあらゆる資源を分配することが要求される。個人の利益は共通善のために断念されなければならないこともある。 「フランスの国家倫理諮問委員会(CCNE)のメンバーであるコランジュ博士は、欧州大陸諸国の生命倫理の原則として、「尊厳の原則」、「全体性の原則」、「弱さの原則」、「正義の原則」の4つを挙げている12) が、そこには人格主義生命倫理学の特徴が端的に示されている。 12) ジャンフランソワ・コランジュ「倫理との関連における健康と生物医学――フランスおよびヨーロッパを例として」生命倫理10巻1号(2000年)176頁。」(秋葉訳著, 20051215: 24) 2 人格主義生命倫理学の基本原則:「人間の尊厳」 1 国際法の最高原理としての「人間の尊厳」 「「人間の尊厳」原則が国連で採用された背景には、戦時中、国家規模で行われた人間の尊厳に反する行為――医学研究のための人間の実験利用――に対する真摯な反省があった。[……]」(秋葉訳著, 20051215: 28) 2 「人間の尊厳」概念の混乱 「[……]ある特定の人の道徳的地位、すなわち人間が尊厳であるゆえんとされる人格性を否定することによって、その尊厳と人権を否定しようとする議論――人間を尊厳である人間とそうでない人間の二種類に分類する試み――は、古くから繰り返し主張されてきた。「生命の質」を絶対化する考え方もその一つである。この理論は、他の目的、たとえば医学の発展や一部の人の権利(研究の自由や幸福追求権)のために、「人格」でない人間を利用すること、あるいは犠牲にすることを容易に可能にする。[……]」 「ドイツと異なり、憲法に「人間の尊厳」についての直接的な規定を持たない日本では、この概念はしばしば憲法13条の「個人の尊重」――「人間の尊厳」と異なり、無条件のものでも例外を許さないものでもない――と混同されている。[……]が、博士によると、最近はドイツでも、特に生命倫理の領域で尊厳概念の混乱が見られ、その本来の意義が失われつつある。[……]<31<一部の哲学者の間では、混乱した尊厳概念を整理して、「強い」尊厳概念と「弱い」尊厳概念に分類する試みさえ出現している8) 。 8) ディーター・ビルンバッハー(忽那敬三訳)「人間の尊厳――比較衡量可能か否か?」応用倫理学研究2号(2005年)88-104頁。」(秋葉訳著, 20051215: 31-32) UP:●2007 REV: |