[ topworks

生命倫理教育の再構築

大谷いづみ 20091115 日本生命倫理学会第21回大会シンポジウム
 「生命倫理教育の再構築」シンポジウム 概要要旨


 生命倫理教育は、本学会の成立当初から主たる主題のひとつであった。バイオエシックスの成立過程において専門職倫理、研究倫理はその根幹に位置するがゆえに、生物医学他の研究やその実務にあたる者への倫理教育は等閑視できないテーマだったからである。バイオエシックスの新しい社会運動たる側面をみれば、「患者主体の医療」を真に構築していくために、PUS(Public Understanding of Science)/PUM(Public Understanding of Medicine)が重要な課題であることはいうまでもない。先般の臓器移植法改定にともなう議論にも見られるように、早期からの生命倫理教育や生命観・死生観の教育も巷間指摘されるところである。
 しかし、これらの<学>が主に英米圏で生成・誕生しそれなりの歴史を持つからといって、英米圏のバイオエシックス/生命倫理教育がそのまま日本の初等・中等・高等・専門職教育に導入されて十全な効果を持つはずがない。死生学の興隆は、米国を主とする英語圏のバイオエシックス/生命倫理[学]の価値体系と論理構造がもつ限界を端的に示している。とはいえ、グローバリゼーションの進む現代において、西洋近代の文化・価値に日本のそれを対置させて問題の解決を図れるほど単純な話でもない。
 基本的には医療倫理である現状の生命倫理学の枠組みが、そのまま初等・中等・高等教育に持ち込まれて、はたしてそれが真に「患者主体の医療」となり得るか。「インフォームドコンセントを取る」という象徴的な表現は、バイオエシックス/生命倫理[学]が目指してきたものとその教育が、単なる手続きにしかなりえていないことの証左であるようにも思われる。生命倫理教育は、人の生・老・病・死をその主題とする。それゆえ、人間と社会とその織りなす歴史への深い洞察とともに、「教育」なるものが必然的に持つ暴力性への怖れを欠いた生命倫理教育は、その目途とは逆に、人間と社会と生命への脅威に転ずる危険を併せ持つ。死生観教育も同様である。
 本シンポジウムでは、高校の生物教育現場で四半世紀にわたって生命倫理教育にたずさわってきた白石直樹(東京都立墨田川高校)、医学生だけでなく幅広い対象に向けた医療倫理の教育において物語論の導入を試み成果をあげる服部健司(群馬大学大学院医学系研究科)、生命倫理教育の「練習問題」として遡上にあげられてきた患者サイドから川口有美子(日本ALS協会)の三氏をシンポジストとして迎え、生命倫理教育の再構築を企てる。
 当日は、三氏から以下の演題で刺激的な問題提起を得た後、フロアも含めた活発な討議を期待したい。

  1) 白石直樹(東京都立墨田川高校):       高校生に脳死を教えると言うこと
  2) 服部健司(群馬大学大学院医学系研究科): 医療倫理ケーススタディの方法論・再考
  3) 川口有美子(日本ALS協会):         病いの物語から導かれるポリティクス


© 2004-2009 Izumi OTANI. All rights reserved. Up:20090821