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「問い」を立て直す〜「生と死の自己決定」をめぐって
大谷いづみ 20080112 第9回 福祉教育研修講座


 患者主体の医療がめざされるなかで、「生・老・病・死」をめぐる「自己決定」が新聞やTVニュースで日々話題になっている。中学「公民」や高校「現代社会」「政治経済」の憲法学習では「新しい人権」のひとつとして自己決定権が紹介され、安楽死・尊厳死や選択的中絶、代理出産などが「幸福追求権」に関連づけて「教え」られさえする。「自己決定」の原理と権利は、医療・福祉・教育の場にもけして無縁ではなくなった訴訟社会の到来した時代にあって、さまざまに交錯する問題の「解決」を導くマジックワードであるかのようにも見える。
 だが、「自己決定」は真空の実験室のなかに存在するわけではないから、その文脈依存性を抜きには語れない。そして、「自己決定権の行使」なるものが、実際にはいかに困難であるかは、高校生たちに、たとえば「高校に来ない自由があったか」を聞けば、一目瞭然である。進路をより明確に「選んだ」ように見える大学生も、その内実はさして変わらない。だとすれば、「生と死の自己決定」は、問題の「解決」ではない。
 当日は、「生と死の自己決定」という、いまや生命倫理問題において自明視されている言説がどのような構造のただなかにあるかを解析したうえで、いかなる問いを@世界(社会)に向けて、A自らに向けて、生徒/学生に問いうるのかを考えてみたい。


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