[ top|works ] 大谷 いづみ 200*/**/** 島薗進・竹内整一編『死生学とは何か』(シリーズ死生学 第一巻),東京大学出版会 ■引用文献 ◆Engisch, Karl von 1948 Euthanasie und Vernichtung Lebensunwerten Lebens in strafrechtlicher Beleuchtung, Kreuz-Verlag (=一九九七 丸山雅夫(要約)訳「刑法的観点から見た安楽死と生存無価値な生命の毀滅」『安楽死・尊厳死・末期医療 資料・生命倫理と法 II』信山社: 61-70。). ◆福田雅章、一九七六「安楽死と医療の倫理」、『書斎の窓』二五四: 18-22. ◆福本博文、二〇〇二『リビング・ウィルと尊厳死』集英社。 ◆市野川容孝、二〇〇七「生―権力再論――饑餓という殺害」『現代思想』三五(11): 78-99. ◆Klee, Ernst, 1983, 《Euthanasie》im NS-Staat: Die Vernichitung 《lebensunwerten Lebens》, S.Fischer,(=一九九九 松下正明監訳 『第三帝国と安楽死――生きるに価しない生命の抹殺』、批評社). ◆松原洋子・小泉義之編 二〇〇五『生命の臨界――争点としての生命』人文書院. ◆松田道雄、一九七二「安楽死問題で気になる点」『しののめ』七五:15-16. ◆宮野彬 一九七五「アメリカの任意的安楽死法案について」『明治学院論叢・法学研究』一五: 23-72. ◆宮野彬、一九七六『安楽死――人間に“死ぬ権利”はあるか』日本経済新聞社. ◆成田薫編、一九九六 『年表が語る協会20年の歩み』 日本尊厳死協会. ◆日本尊厳死協会編、一九八四、『安楽死論集 第8集』人間の科学社. ◆太田典礼、一九六三「安楽死の新しい解釈とその合法化」『思想の科学』一七: 72-80. ◆太田典礼、一九八四「第8集に寄せて」日本尊厳死協会編[一九八四: 5-16]. ◆大谷いづみ、二〇〇三 「「いのちの教育」に隠されてしまうこと――「尊厳死」言説をめぐって」『現代思想』三一(13): 180-197. →二〇〇五a 「「いのちの教育」に隠されてしまうこと――「尊厳死」言説をめぐって」、 松原・小泉編[二〇〇五: 91-127]. ◆大谷いづみ、二〇〇五b 「「問い」を育む――「生と死」の授業から」 松原・小泉編[二〇〇五: 128-155]. ◆大谷いづみ、二〇〇五c「太田典礼小論――安楽死思想の彼岸と此岸」『死生学研究』五: 99-125. ◆大谷いづみ、二〇〇六、「「市民的自由」としての死の選択――松田道雄の「死の自己決定」論」『思想』九八一: 101-118. © 2004-2007 Izumi OTANI. All rights reserved. Up:20071103 |