[ top|works ] 大谷いづみ 20070922 京都NCC生命倫理研究会例会 ■要旨 I 安楽死・尊厳死/死ぬ権利とユダヤ・キリスト教の戒律(殺人・自殺)との相克 1.カトリックと「安楽死・尊厳死」論 @ カレン・アン・クィンラン事件におけるカトリックの位置 ・クインラン家+トマス・トラパッソ神父、ケーシー司教 器械による生命維持でなく自然な生死を/通常の(ordinary)手段と異常な(extraordinary)手段 ピオ12世「延命問題に関する公式談話」(1957.11.24) cf. セント・クレア病院、主治医モース医師 「医学の常道」:ヒポクラテスの誓い A バチカン教理聖省「安楽死についての声明」(Declaratio de Euthanasia)(1980.6.26) ・「安楽死(=あらゆる身体的苦しみから救う目的で為される、その本性からしてまたはその行為者の意向によって、死を引き起こすような作為あるいは不作為」の禁止 ・不治で瀕死の者への鎮痛手段の副次的結果としての生命短縮の容認 ・「つりあいの原理」=適正な医療手段、基本的なケア(以上、宮川 19830410, 19830910) → 「執拗な治療(therapeutic obstinacy)の差控えと緩和ケアの保障」(ヨンパルト・秋葉2006) ただし、PVSに関しても、基本的ケアによる生命維持の原則は保持。 B ナチスT4への抵抗、中絶(早期安楽死)禁止と「執拗な治療」差し控え・中止の容認 ・ナチスT4中止命令へのカトリックの影響(ミュンスター司教フォン・ガレンの説教)、 ・WWII直後からT4の事実はカトリック関係者によって言及されている。(カトリックの国際的情報網によって?) → 「安楽死」の禁止、ホスピス・ケア/緩和ケアへの積極性 → 「尊厳死」言説のひとつ(安楽死はダメだが尊厳死ならばOK)の一助? カトリック法哲学者阿南成一の変容(大谷 2006) 日本尊厳死協会におけるカトリック知識人・文化人 ・アメリカにおける中絶問題を軸にしたカトリックの揺れと変容(香川 2006) 2.プロテスタントと「安楽死・尊厳死」 @ 「死ぬ権利」運動とプロテスタント系神学者 ・ジョセフ・フレッチャー『医療と人間』(1964=1965)、『状況倫理』(1966=1971)ほか ・初期英米安楽死協会に名を連ねる神学者・宗教者たち ・自由主義神学者ヴァン・デューセン*1夫妻の自殺(1975) cf. ジョー・ローマン*2の理性的自殺の報道(1979.6.17)と遺著『知的自殺』(1981=1982)の公刊 左翼系ユダヤ系文化人アーサー・ケストラー*3夫妻の自殺(1983) ・「自律する個人」の価値観とプロテスタンティズム、プロテスタント神学の関係は? ウェーバー、米国ピューリタニズム A 保守派のプロテスタントは? ex. テリ・シャイボ事件におけるブッシュ大統領 B エホバの証人の輸血拒否と治療拒否→「尊厳死」言説との関係(法的議論も含めて) cf. クリスチャン・サイエンスの医療拒否 II 問題の整理と考究のために @ 「プロ・ライフ」の一般的イメージとの乖離 「カトリック&ファンダメンタルなプロテスタントの狂信的生命至上主義」?? =「狂信的プロ・ライフ vs. リベラル派による死ぬ権利の獲得運動」という構図の再検討 ・自由主義プロテスタントの積極的安楽死容認・牽引 → 非宗教的な「死ぬ権利」運動との関係 A 医療倫理の世俗化に対するキリスト教の影響は? ・カトリック第2ヴァチカン公会議(1962-65)の影響 ・プロテスタント神学者 ハーヴィ・コックス『世俗都市――神学的展望における世俗都市と都市化』(1965=1967)の影響 ※土井健司氏より、改訂版序文(1966=1967)にダニエル・キャラハンへの言及ありとの情報→確認 B 「自律する個人」と「人間の尊厳」の接合 ・「安楽死・尊厳死」の他殺性を後景化 ・「尊厳死」と自殺の連続性を合理化 → 「天命の受容」 → 「価値なき生命の廃棄」のよりソフトで宗教的表現となる懸念は? ∴C 「死ぬ権利」でなく「尊厳」というソフトで拡張性をもった宗教的な表現が「世間」に及ぼす影響は? → 「価値なき生命の廃棄」の社会化、制度化? D ホスピス・ケア/緩和ケアと「安楽死・尊厳死」問題 ・ホスピス運動とキリスト教の関係→思想的社会的相互作用は? ・英国ホスピス運動台頭期における英国安楽死運動との関係 S.ソーンダースが批判した「安楽死」は何を含意しているか 食餌拒否の容認?と「本人の意思による治療停止」(=尊厳死)との関係 →「尊厳死」言説のひとつ(安楽死はダメだが尊厳死ならばOK)の英国版ルーツ? →1970年代後半の日本人医師による英国ホスピス詣/1970年代日本医学界の安楽死論議への影響は? E ホスピス・ケア/緩和ケアは「安楽死・尊厳死」問題を「解決」するか? 「日本ではホスピスがたくさんできたら安楽死問題は解決するように思うとする甘い楽観主義者もあるが,私はここを安楽死への一つの道と受けとった。」(太田典礼1980) →ホスピス・ケア/緩和ケアの内実(その思想・実態・言説)の検討・検証の必要性 ■注 *1 Van Dusen, Henry Pitney(1897-1975)。1945-1963年、ニューヨーク、ユニオン神学大学学長、アメリカ安楽死協会会員。1946年、40名の宗教界指導者とともに「自発的な安楽死」に賛成、1967年、植物人間の状態になったときに,医療補助を打ち切ることは正当化されると主張。晩年の5年間は脳梗塞・言語障害。1975年、夫人とともに自殺(古屋1975)。 *2 Jo Roman(1917.2.3-1979.6)。ニューヨーク在住の画家、彫刻家、デザイナー。癌をわずらい、1979年6月、夫の見守るなか、致死量のセコナールを飲んで自殺。その死はニューヨーク・タイムスの第一面で報じられた。 *3 Arthur Koestler (1905-1983.3.1)。ハンガリー出身のユダヤ系ジャーナリスト、小説家、政治活動家、哲学者。無神論の神秘思想家でもあった。ブダペストからウィーン、パレスチナ、ベルリン、ソビエト、パリ、スペインと移り、1948年英国籍となる。『器械の中の幽霊』『ホロン革命』のほか、アシュケナージのルーツをハザール王国に見る著書『ユダヤ人とは誰か』など。晩年は白血病とパーキンソン病を患い、1983年、安楽死協会(EXIT)の手引きにしたがって自殺。夫人シンシアとともに発見された。夫人は直後に後追いしたと言われている(Mikes, 1983=1986)。1980年代初頭の英国安楽死運動は「自殺の手引き書」の処遇が焦点となっており、日本でも日本安楽死協会(当時)で内紛が起き、日本尊厳死協会への会名改称の一因となった(大谷 2006)。 ■参照文献 ■付記 本稿は2007年9月22日(土)、14:30-17:00 京都NCC宗教研究所においておこなわれたNCC生命倫理研究会例会での報告レジュメに、当日の質疑応答、コーディネイターである土井健司氏(関西学院大学)との例会後のやりとり、文献情報などを加筆したものである。機会をくださった土井氏、参加者の方々に深く感謝します。 なお、本稿の内容は、現在準備中の論攷の一部として近く公刊の予定。 © 2004-2007 Izumi OTANI. All rights reserved. Up:20070930 |