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「尊厳ある死」という思想の生成と「いのちの教育」

大谷 いづみ
2007/07/21 (2007/04/24送付)
第28回SGRAフォーラム in 軽井沢「いのちの尊厳と宗教の役割」 抄録

フォーラム「いのちの尊厳と宗教の役割」のプログラム


ひとがひととしての尊厳をもってその生を承認されることは、子どもたちがかけがえのない存在として承認されること、自らをかけがえのない存在として自己肯定できることでもある。だが、殺すことと死にゆかせることを切り分けながら生成されてきた「自分らしい、人間らしい、尊厳ある死」という言説は、「生」に「自分らしさ」「人間らしさ」「尊厳」という限定をかけ、ある生を、言外にそれらの欠けた「悪しき生」とする。では、ある一定の生を「悪しき生」と同定する「自分らしさ」「人間らしさ」「尊厳」とは、何ものなのだろうか。本フォーラムでは、戦後の日本社会における「自分らしい、人間らしい、尊厳ある死」を希求する思想の生成を、宗教の観点を加味しながら追い、その意味するところと「いのちの教育」との関連を考えてみたい。


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