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論文要旨
「尊厳死」言説の誕生


大谷 いづみ 2006/03/24 立命館大学大学院先端総合学術研究科博士学位請求論文

 本研究は,「不治・末期の苦痛を取り除いてもたらされる安らかな死」が「人間としての尊厳を保った自分らしい死」という新たな位相を得て,「安楽死」から「尊厳死」へと編み変えられた経緯を追い,日本において「尊厳死」言説が誕生・生成した過程を検証する現代史研究である。主たる対象時期を,日本で初めて医師による安楽死合法化が提案された1960年代から日本安楽死協会が現在の日本尊厳死協会に改称した1983年までとする。
 本研究の第1章では,専門家集団とレイ・パーソンのインターフェイスであるメディア報道に,第2章では,法分野に焦点をあて,メディアと法学者が「尊厳死」という語と概念を導入し創出することによって「尊厳死ある死」が「安楽死」から分節化されてゆく過程を解析した。
 第3章では,日本の安楽死運動の創始者である太田典礼と,太田が設立し牽引した日本安楽死協会の活動,日本尊厳死協会への会名改称の経緯,国会論議など安楽死法制化運動の推移に加え,法制化運動とメディア・法分野との相互作用を指摘した。第4章では法制化運動に異議を申し立てた重度脳性マヒ者を中心とする『しののめ』誌と「青い芝の会」の主張,および「安楽死法制化を阻止する会」の活動を考察した。第5章において,1970年代の安楽死法制化運動と反対運動の雄として対立した太田典礼の安楽死思想と松田道雄の「死の自己決定」論を比較して解析し,最終章において安楽死論が「肉体の苦痛への慈悲」から「尊厳ある死を望む自律の尊重」へと変貌して「尊厳死」言説へと回収されたことを明らかにした。
 「尊厳死」という語と概念は遷延性意識障害(俗に植物状態と呼ばれる)からの人工呼吸器撤去の可否が争われたカレン・アン・クインラン事件判決を機にメディアによって非自覚的に使用され,否応なく法解釈上の対応を迫られた法学者によって導入された。同時代において,太田典礼と日本安楽死協会の提案した法案の本意は老人・難病者・心身障害者を社会の負担となる「半人間」としてその排除を包含したものであり,それゆえに法制化運動は自滅し,協会は日本尊厳死協会への改称を余儀なくされた。しかし,その失敗と挫折は,「自分らしい,人間らしい,尊厳ある死」という新しい語りを得ることによって,安楽死思想を,より洗練され,より拡張性をもった尊厳死思想へと変容させ,ここに「尊厳死」言説が誕生するにいたった。

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